米田病院時代


ここから先は私の生い立ちです。お時間のある方はどうぞ

幼少期

4人兄弟の三番目(兄、姉、私、弟)として関市迫間台に生まれ、

 

兄弟たちに揉まれながら育ちました

 

両親が共働きであったため未満時で保育園に入園

 

先生たちには投げキッスをするようなお茶目な園児でした(笑)

 

小学生からは地元の剣道クラブに所属し兄たちと一緒に汗を流していました

 

そのころより長距離走は得意で、校内やスポーツ少年団主催のマラソ

大会などでは優勝したこともあります。

 

やはり人間には長所も短所もあり、短距離走は苦手で運動会などの華やかな舞台では活躍できませんでした(笑)


中学期

中学になると反抗期に突入し、親の言うことには反抗ばかりしていました今では反省。迷惑をかけたぶん今では親の手伝いを積極的にするようにしています

 

それでも中学から始めたバスケットの練習にはまじめに参加していました。

 

 

シュートは得意ではありませんでしたが、持ち前の努力と根性でディフェンスで貢献しレギュラーになることができました。

高校期

中学の時にのめりこんでいたプロレスに興味をもち、高校では柔道部に入部しました。

 

来る日も来る日も柔道漬けの日々を過ごしていましたが、練習量が増えていくのにつれて徐々に腰痛に悩まされるようになっていました。

 

痛み止めの内服や注射を繰り返しながらの選手生活、、、。

 

そして三年生最後の県大会前日に相手の払い腰を受けて踏ん張った際、今までに経験したことのない痛みが腰に走り動くことができなくなってしまいました。

 

痛み止めの注射も効果がなく、団体戦の先鋒を任されていましたがあえなく選手交代という悔しい思いをしました。

 

そんな経験から、将来は人を治す、人の苦しみを取り除く、人の役に立てるような人間になりたいと思い国家資格である柔道整復師になるために米田柔整専門学校へ進学を決めました。

青年期

専門学校では、勉強の傍ら柔道も続け東海学生柔道大会(73kg級)で優勝することができました。

 

卒業後 よねだクリニック・米田病院に就職。

 

5年間の勤務の中で色々な経験ができました。

 

日々の整形外科業務(骨折、脱臼の整復・リハビリ)から、解剖実習、手術見学など。

 

大相撲名古屋場所のトレーナー活動。

 

愛知県実業団柔道大会(個人戦にて三年間優勝)

 

米田道場にて、少年少女の柔道指導。

 

その後、各務原の平田接骨院に就職し平田院長の的確な指導のもと4年間勤務。

 

 

2015年4月に開業しました。